2018.02.19

トライアスロン界の女王 グウェン・ジョーゲンセンの軌跡 Vol.2 彼女のオリンピック・ジャーニー

リオ五輪で金メダル、そして母にもなったグウェン・ジョーゲンセン。頂点を極めた彼女のトライアスロンの軌跡をご紹介します。(Vol.2)

現在、平昌冬季オリンピック真っ最中。連日さまざまなドラマが展開されているが、それを見ていると改めてトップアスリートたちがその実力をオリンピックという舞台で発揮することがいかに困難であるか、また、それを成し遂げメダルを獲得した選手たちがいかに偉大であるかを思い知らされる。4年という歳月を費やし、努力を積み上げ本番を迎えるアスリートたち。リオで金メダルを獲得したグウェン・ジョーゲンセンも、そんな中で栄光を手にしたアスリートのひとりである。

始まりはロンドンオリンピックだった。トライアスロン競技を始めて、わずか2年でオリンピック代表に選出されるという異例の急成長を遂げた彼女だったが、初めてのオリンピックで彼女は大きな失望を味わうこととなる。レース前は「穏やかな気持ちで、自信もあって、準備もできていた」が、いざレースが始まり、バイクのチェイスパックで追い上げを開始している最中、メカトラブルに見舞われたのだ。ピットインを余儀なくされ、数分を失ったのちに再スタートしたものの、もはや先頭グループははるか先。ランでの追い上げもふるわず、38位に散った。

ロンドンのゴールで頭に浮かんだこと。

「リオで金をとるには何をすればいいのか」

フィニッシュラインで彼女の頭に浮かんだこと。それは「2016年に金メダルをとるには何をすればいいのか」というものだった。そこから、彼女の “オリンピック・ジャーニー”はスタートした。まず始めたのはリサーチだった。世界のトップトライアスリートはどんな環境でどんなトレーニングをしているのか。また、優れたトライアスロンコーチも調べ尽くした。そしてたどり着いたのが、彼女を金メダルに導くことになるジェイミー・ターナーだ。2016年7月、リオの約ひと月前に私はジョーゲンセンにメールでのインタビューを行っていた。その時の彼女の回答の中にこんなコメントがある。「ジェイミー(ターナー)は世界一のトライアスロンコーチ。彼の下での初レースは2013年のWTS第1戦オークランドでした。途中棄権に終わった私は、ジェイミーにこう尋ねたことを覚えています。『何かを変えなきゃいけないんじゃない?』と。でも彼の答えは『何も変える必要はない』というものでした。私はその言葉を信じ、そのおかげで彼の選手の育て方を身をもって知ることができました。今では全幅の信頼を置いています。だって彼は私を世界一のトライアスリートにしてくれた人だから」

ターナーの下で、ジョーゲンセンは目覚ましい進化を遂げた。もともと速かったランに加え、弱点だったスイムとバイクに磨きをかけ、勝利にからめるレベルにまで引き上げた。2013年2戦目となるサンディエゴで念願のWTS初勝利、続く横浜で2連勝、さらには7戦目のストックホルムでも勝利。特にこの、ストックホルムでのレースが彼女のキャリアにおけるブレイクスルーになったと後に彼女は語っている。「初めて世界レベルで通用するスイム、バイク、ランができたのがここ。最高に達成感のあるレースでした」

無敵のジョーゲンセン時代、

そしていざ、リオの舞台へ。

続く2014年は破竹の勢い。“無敵のジョーゲンセン時代”の幕開けとなった。WTS第3戦横浜での勝利を皮切りに、翌2015年のグランドファイナルとなるシカゴまで12連勝(リオでのテストイベントも含めると13連勝)。前人未到の快挙である。一方で、強すぎるが故の不安にも苛まれたと自身のブログで明かしている。「リオ前の最後のレース、ハンブルグが終わった後、私はジェイミー(ターナー)に、スポーツサイコロジストにかかりたいと頼み込みました。ハンブルクで、自分が自己満足状態に陥っているような気がして、人生最大のレースの前に闘志の炎が消えてしまったのではないかと不安になってしまったのです」。しかし、ターナーの「その必要はない。当初のプラン通りやる。君は、やるべきことはもうすべてやり終えてるんだ」との言葉に自信を取り戻し、自分を落ち着かせることができたという。


©BrakeThroughMedia(2015年London ITU)

そして迎えたリオオリンピック。ジョーゲンセンは、夫のパトリック・レミューとともにレースの日を心穏やかに迎えた。過去の4年間はすべてこの日のため。事前の取材も制限し、スポンサーが用意してくれた快適なアスリートラウンジへも行かず、静かに、ひたすら集中力を高めた。

スピリグ vs ジョーゲンセン。

レース中に交わした会話の内容とは?

レース展開は典型的な彼女の勝ちパターンだった。スイムではトップグループから少し遅れる程度、バイクで着実に順位を上げてバイクレグが終わるまでには先頭グループの中の好位置につけた。そして迎えた得意のラン。序盤から先頭に飛び出たジョーゲンセン。4周回コースの2周目を終えたところでスパートをかけ、後続を引き離しにかかるも、その後ろにぴたりとついたのは、ロンドンの金メダリストで、その後出産を経てカムバックしたニコラ・スピリグ。強い向かい風の中、ジョーゲンセンがスピリグの風よけになって引っ張る形が続く。そして、ランの最中に会話を交わすふたり。その奇妙な光景を覚えている人も多いのではないだろうか。その会話の内容をジョーゲンセンはこう明かしている。

ニコラ「お互い交代で引っ張ろうよ」

私「これまで2周引っ張ってきたのは私だけど」

ニコラ「私は金メダリストよ」

私「関係ない。あなたは母でもある。そっちの方がかっこいいわよ」

今聞くと、意味不明な部分も多い会話だが、これはスピリグがしかけたメンタルゲームだったのだという。だが、折り返した後の追い風に乗って、ジョーゲンセンがスパート。彼女はその後一度も振り返らず、ひたすらゴールへ向かって全力で走り、スピリグに40秒の差をつけて勝利した。

「私がスポーツを愛する理由は、予測がつかないからです。この不確かさこそ、スポーツが人を魅了する理由なのです」

前述の、オリンピック前のインタビューでの彼女の言葉である。オリンピックという予測不能で不確かな未来に、人生をかけて勝負に挑むアスリートの姿。そこに感動が生まれないはずがない。栄光のゴールに到達した瞬間の、涙と笑顔が入り混じったなんとも言えない表情に、彼女の過ごしてきた4年間の重みを垣間見た気がした。

(第3回へ続く)

引用元:http://www.gwenjorgensen.com/blog/

筆者紹介:東海林美佳
一般女性誌からスポーツ誌まで幅広いジャンルで活躍するエディター&ライター。アイアンマンハワイをはじめ、海外レース、海外選手の取材を多数手がける。

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