MCGILLIVRAY PASS | BRITISH COLUMBIA

2016/01/20

MCGILLIVRAY PASS | BRITISH COLUMBIA

マクギリブレー・パスを走るというアイデアは、幼なじみのアンドリュー・マンスターと、彼の父のサマーキャビンで写真アルバムをめくっていた15年前に企てられました。

ハンノキの薮と蜂の巣。忘れ去られた道、マクギリブレー・パス。

マクギリブレー・パスを走るというアイデアは、幼なじみのアンドリュー・マンスターと、彼の父のサマーキャビンで写真アルバムをめくっていた15年前に企てられました。彼の父は90年代半ばに、マクギリブレー滝の開拓地とブララーン上流にある最初の金鉱とを繋いだ、古い送電線の道を走ろうとしました。パンク、倒木、暗闇により、彼の父はその道に辿り着く前に引き返すこととなったのですが、それ以来、この計画は私たちの頭に残りました。

出来る限り記録をさかのぼってみたところ、マクギリブレー・パスを最初に横断した記録は1897年でした。カヨーシュ金鉱を追い求めに来た3人の男が、リルエットの町から歩いて山を越え、のちにブララーン金鉱を最初に見つけたと主張したのです。ブララーンは、1930年代から活発になり始めました。人口一万人を越える完全に機能した町が誕生し、それに伴い送電線やラバの道が、そのパスの反対側でマクギリブレー滝の開拓地と繋がりました。しかし、この町は廃れて行き、住民数名を除いた全員が、1970年代に金鉱が閉山となったときに、その地域を後にしたのです。時間をかけて、自然は自らの力により、再び自然に戻って行きました。

それでも、通常の伐採や小さな採鉱運営が長年に渡り、そのパスの北端で行われていたため、私たちは高山帯へのアプローチが素晴らしいと知っていました。わからなかったのは、その南側です。Google Earthには草木に埋もれた道が細切れに写っており、これは良い知らせでしたが、一番の懸念は、6年前に焼け、今では確実に倒木やハンノキによって薮となっているはずの森の広大な部分でした。

驚いたことに、調査結果は好ましいものでなかったにも関わらず、大した説得もなしに、アンドリューはこのパスを走るというアイデアに賛同しました。そして8月後半のある週末に、私たちはAWOLに荷物を載せてダーシーへと2時間のドライブをしました。ここからアンドリューのボートでアンダーソン湖の南端へと向かい、シートンでライドを始めたのです。ライド初日はミッション・パスを越えて、カーペンター湖に沿って砂利道を走り、ブララーンへと行きました。

シートンを去るまでに、太陽は空高く登り、ちょうど華氏100度を下回る温度で照りつけていました。ミッション・パスを越える登りは過酷でしたが、私たちはどちらも、反対側を下ったら、カーペンター湖で涼めることを知っていました。手短に泳いで涼み、水を吸ったサンドイッチを食べたあと、湖岸から50マイル離れたゴールドブリッジに通じる主要道を走りました。太陽が水平線へと近づくにつれ、ようやく気温が下がり、すぐ近くのハリソンでの山火事による煙が辺りを覆い尽くして、空が不穏な赤色に染まりました。

ゴールドブリッジの町はとても静かで、誰にも気づかれることなく町に入りました。町外れのブリッジ川に格好のキャンプ地を見つけ、簡単な夕食の前に最後の水遊びをして、ぐっすりと眠りました。

朝には快晴となり、人が訪れない道を走るという旅の計画に、ワクワクし出しました。私たちは朝早くに出発し、ゴールドブリッジより上の伐木搬出道を登り、ブララーンへと向かいました。途中、ゆっくりと朽ち果てつつある1900年代初頭の廃墟を通り過ぎました。古い採鉱道へと行くために横断しなくてはならない伐採地のふもとに着く頃には正午となっていました。BC州のどの伐採地とも同様、道に最初に生えてくるのはハンノキです。ハンノキは酷いのです。私たちは数マイルも薮漕ぎし、マシな道が現れて、ありがたいことにペダルを漕げる常緑帯にようやく合流するまで、サイクリストを邪魔するかのようなハンノキの薮を突き進みました。

しかし、高山帯への良いルートを見つけることが、採鉱道が消えてからの課題となりました。しばらく調査をしたあと、森林限界より上まで通じ、マクギリブレー・パスを成す美しい草原に繋がるハイキングトレイルを見つけました。この道のほとんどは、湿地の高山帯の中を通り、しかも丸太の上に作られており、使われなくなったために自然に戻りかけていましたが、意外にも、支柱や電線を多くの場所で目にできました。これらが、私たちの辿る目印となったのです。

マクギリブレー・パスの頂上には、1970年代にスキーツアーに向けて作られた小さなキャビンがありました。驚いたことに、その家主が仲間と修復工事をしていたのです。ロンはこの先の道に関する素晴らしい情報を与えてくれ、高山帯を出れば、草木がかなり生い茂っていると、はっきりとした口調で教えてくれました。彼は約8年前まで、このトレイルを管理していましたが、下方の連絡道路が雨に流され、山火事に焼かれたため、使われなくなったのでした。

太陽が沈む中、彼らに別れを告げ、谷へと降り始め、暗くなる前に樹林帯に辿り着こうとしました。あえて移動したのは、翌日が朝から長い一日となることを知っていたからです。一時間後、最後の草原に辿り着きました。ここで沢を見つけてキャンプをし、一日を終える前に夕食を食べたました。

その日は早朝にスタートしましたが、走り始めて5分で道がわからなくなりました。走り抜けてきた草原が突然終わり、樹林帯へと突入したのです。手探りの状態で、樹林帯を上り下りしましたが、幸運は訪れませんでした。遂に、ある切り株に斧の痕を見つけ、ここから送電線へ、そしてそのあと、古い道へと出ることができたのです。やりました! 私たちは最初、倒木の少ない、走れる道を見つけたことに喜びましたが、標高が下がるにつれ、どんどん増えて行く木の上に、バイクを持ち上げなくてはならなくなりました。私が蜂の巣を踏みつけて、蜂の大群がアンドリューに襲いかかったときに、旅は面白くなってきました。私は大丈夫でしたが、彼は数カ所刺されたのです。彼への代償は、ビールで払うことにします。

ここまでのこのトレイルは、私たちが期待した通りでした。バイクを乗り降りする必要はありましたが、着実に前へと進めたのです。これは、Google Earthを見て最初の心配をした、山火事の跡に出たときまで続きました。草木が再び生え出して6年が経ち、無数の木が倒れていたので、1マイルを2人で進むのに、何時間もかかったのです。時速数マイルで進んでいたのではなく、毎マイル数時間で進んでいました。できる限り、倒木を橋として利用し、ハンノキの上にいるようにしました。倒木が宙に浮いていると、惨めなほどあっという間に薮の中へと落っこちてしまい、これによりノコギリや鉈を使ってトンネルを切り開いて行きました。

焼け跡の反対側に辿り着くまでの4時間、バイクを引きずり、数十もの蜂の巣から逃れました。私たちはクタクタだったので、昼食を摂り、そのトレイルへと戻ることに気持ちを切り替えました。ここまでで、興奮や冒険心が丸っきり失せており、この山から抜け出したくなりました。下れば下るほど、行く手を草木に塞がれました。そのうちバイクは、薮を押しやる道具に変化したのです。

日が暮れる前にここから抜け出すという希望を失いかけていたとき、森は伐採の跡になり、10マイルの下りの未舗装路へと通じ、その道の終わりにアンドリューのキャビンが現れました。ここではビールとステーキが私たちを待ち構えていたのです。

その夜、私たちはお腹いっぱい夕食を食べ、アンドリューの父と話し合い、バカげた選択や、どれほどこの旅を二度とやりたくないか、ということに笑いました。そのトレイルを綺麗にしようという前向きな会話もありましたが、ハンノキによる傷が癒え、蜂に刺された思い出が消えるまで、それが行われることはないでしょう。

編集後記:ジェームスはマクギリブレー・パスで、Specialized Awol Compに乗りました。Compの29 x 1.9インチGround Controlタイヤは、どんな冒険の最も過酷な薮漕ぎにも耐えられるほどタフなのです。Awol完成車ラインの詳細情報は、specialized.comでご確認いただくか、最寄りのSpecialized正規販売店にてお尋ねください。

関連記事:
THE ART OF GETTING LOST -迷い道の美学 (2016年1月13日)

カテゴリ:
ロードバイク
キーワード:
ストーリー
Awol

2016/01/20

MCGILLIVRAY PASS | BRITISH COLUMBIA

マクギリブレー・パスを走るというアイデアは、幼なじみのアンドリュー・マンスターと、彼の父のサマーキャビンで写真アルバムをめくっていた15年前に企てられました。

MCGILLIVRAY PASS | BRITISH COLUMBIA

ハンノキの薮と蜂の巣。忘れ去られた道、マクギリブレー・パス。

マクギリブレー・パスを走るというアイデアは、幼なじみのアンドリュー・マンスターと、彼の父のサマーキャビンで写真アルバムをめくっていた15年前に企てられました。彼の父は90年代半ばに、マクギリブレー滝の開拓地とブララーン上流にある最初の金鉱とを繋いだ、古い送電線の道を走ろうとしました。パンク、倒木、暗闇により、彼の父はその道に辿り着く前に引き返すこととなったのですが、それ以来、この計画は私たちの頭に残りました。

出来る限り記録をさかのぼってみたところ、マクギリブレー・パスを最初に横断した記録は1897年でした。カヨーシュ金鉱を追い求めに来た3人の男が、リルエットの町から歩いて山を越え、のちにブララーン金鉱を最初に見つけたと主張したのです。ブララーンは、1930年代から活発になり始めました。人口一万人を越える完全に機能した町が誕生し、それに伴い送電線やラバの道が、そのパスの反対側でマクギリブレー滝の開拓地と繋がりました。しかし、この町は廃れて行き、住民数名を除いた全員が、1970年代に金鉱が閉山となったときに、その地域を後にしたのです。時間をかけて、自然は自らの力により、再び自然に戻って行きました。

それでも、通常の伐採や小さな採鉱運営が長年に渡り、そのパスの北端で行われていたため、私たちは高山帯へのアプローチが素晴らしいと知っていました。わからなかったのは、その南側です。Google Earthには草木に埋もれた道が細切れに写っており、これは良い知らせでしたが、一番の懸念は、6年前に焼け、今では確実に倒木やハンノキによって薮となっているはずの森の広大な部分でした。

驚いたことに、調査結果は好ましいものでなかったにも関わらず、大した説得もなしに、アンドリューはこのパスを走るというアイデアに賛同しました。そして8月後半のある週末に、私たちはAWOLに荷物を載せてダーシーへと2時間のドライブをしました。ここからアンドリューのボートでアンダーソン湖の南端へと向かい、シートンでライドを始めたのです。ライド初日はミッション・パスを越えて、カーペンター湖に沿って砂利道を走り、ブララーンへと行きました。

シートンを去るまでに、太陽は空高く登り、ちょうど華氏100度を下回る温度で照りつけていました。ミッション・パスを越える登りは過酷でしたが、私たちはどちらも、反対側を下ったら、カーペンター湖で涼めることを知っていました。手短に泳いで涼み、水を吸ったサンドイッチを食べたあと、湖岸から50マイル離れたゴールドブリッジに通じる主要道を走りました。太陽が水平線へと近づくにつれ、ようやく気温が下がり、すぐ近くのハリソンでの山火事による煙が辺りを覆い尽くして、空が不穏な赤色に染まりました。

ゴールドブリッジの町はとても静かで、誰にも気づかれることなく町に入りました。町外れのブリッジ川に格好のキャンプ地を見つけ、簡単な夕食の前に最後の水遊びをして、ぐっすりと眠りました。

朝には快晴となり、人が訪れない道を走るという旅の計画に、ワクワクし出しました。私たちは朝早くに出発し、ゴールドブリッジより上の伐木搬出道を登り、ブララーンへと向かいました。途中、ゆっくりと朽ち果てつつある1900年代初頭の廃墟を通り過ぎました。古い採鉱道へと行くために横断しなくてはならない伐採地のふもとに着く頃には正午となっていました。BC州のどの伐採地とも同様、道に最初に生えてくるのはハンノキです。ハンノキは酷いのです。私たちは数マイルも薮漕ぎし、マシな道が現れて、ありがたいことにペダルを漕げる常緑帯にようやく合流するまで、サイクリストを邪魔するかのようなハンノキの薮を突き進みました。

しかし、高山帯への良いルートを見つけることが、採鉱道が消えてからの課題となりました。しばらく調査をしたあと、森林限界より上まで通じ、マクギリブレー・パスを成す美しい草原に繋がるハイキングトレイルを見つけました。この道のほとんどは、湿地の高山帯の中を通り、しかも丸太の上に作られており、使われなくなったために自然に戻りかけていましたが、意外にも、支柱や電線を多くの場所で目にできました。これらが、私たちの辿る目印となったのです。

マクギリブレー・パスの頂上には、1970年代にスキーツアーに向けて作られた小さなキャビンがありました。驚いたことに、その家主が仲間と修復工事をしていたのです。ロンはこの先の道に関する素晴らしい情報を与えてくれ、高山帯を出れば、草木がかなり生い茂っていると、はっきりとした口調で教えてくれました。彼は約8年前まで、このトレイルを管理していましたが、下方の連絡道路が雨に流され、山火事に焼かれたため、使われなくなったのでした。

太陽が沈む中、彼らに別れを告げ、谷へと降り始め、暗くなる前に樹林帯に辿り着こうとしました。あえて移動したのは、翌日が朝から長い一日となることを知っていたからです。一時間後、最後の草原に辿り着きました。ここで沢を見つけてキャンプをし、一日を終える前に夕食を食べたました。

その日は早朝にスタートしましたが、走り始めて5分で道がわからなくなりました。走り抜けてきた草原が突然終わり、樹林帯へと突入したのです。手探りの状態で、樹林帯を上り下りしましたが、幸運は訪れませんでした。遂に、ある切り株に斧の痕を見つけ、ここから送電線へ、そしてそのあと、古い道へと出ることができたのです。やりました! 私たちは最初、倒木の少ない、走れる道を見つけたことに喜びましたが、標高が下がるにつれ、どんどん増えて行く木の上に、バイクを持ち上げなくてはならなくなりました。私が蜂の巣を踏みつけて、蜂の大群がアンドリューに襲いかかったときに、旅は面白くなってきました。私は大丈夫でしたが、彼は数カ所刺されたのです。彼への代償は、ビールで払うことにします。

ここまでのこのトレイルは、私たちが期待した通りでした。バイクを乗り降りする必要はありましたが、着実に前へと進めたのです。これは、Google Earthを見て最初の心配をした、山火事の跡に出たときまで続きました。草木が再び生え出して6年が経ち、無数の木が倒れていたので、1マイルを2人で進むのに、何時間もかかったのです。時速数マイルで進んでいたのではなく、毎マイル数時間で進んでいました。できる限り、倒木を橋として利用し、ハンノキの上にいるようにしました。倒木が宙に浮いていると、惨めなほどあっという間に薮の中へと落っこちてしまい、これによりノコギリや鉈を使ってトンネルを切り開いて行きました。

焼け跡の反対側に辿り着くまでの4時間、バイクを引きずり、数十もの蜂の巣から逃れました。私たちはクタクタだったので、昼食を摂り、そのトレイルへと戻ることに気持ちを切り替えました。ここまでで、興奮や冒険心が丸っきり失せており、この山から抜け出したくなりました。下れば下るほど、行く手を草木に塞がれました。そのうちバイクは、薮を押しやる道具に変化したのです。

日が暮れる前にここから抜け出すという希望を失いかけていたとき、森は伐採の跡になり、10マイルの下りの未舗装路へと通じ、その道の終わりにアンドリューのキャビンが現れました。ここではビールとステーキが私たちを待ち構えていたのです。

その夜、私たちはお腹いっぱい夕食を食べ、アンドリューの父と話し合い、バカげた選択や、どれほどこの旅を二度とやりたくないか、ということに笑いました。そのトレイルを綺麗にしようという前向きな会話もありましたが、ハンノキによる傷が癒え、蜂に刺された思い出が消えるまで、それが行われることはないでしょう。

編集後記:ジェームスはマクギリブレー・パスで、Specialized Awol Compに乗りました。Compの29 x 1.9インチGround Controlタイヤは、どんな冒険の最も過酷な薮漕ぎにも耐えられるほどタフなのです。Awol完成車ラインの詳細情報は、specialized.comでご確認いただくか、最寄りのSpecialized正規販売店にてお尋ねください。

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