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たったひとつの素敵なやり方 ブエルタ・ア・エスパーニャ2022レビュー

2022/09/23

たったひとつの素敵なやり方 ブエルタ・ア・エスパーニャ2022レビュー

グランツール最終戦「ブエルタ・ア・エスパーニャ」が閉幕。総合優勝を成し遂げたレムコ・エヴェネプールのこれまでとあわせて振り返っていきましょう。

TOP画像:© 2022 Getty Images

エヴェネプールがグランツールを制するまで

レムコ・エヴェネプール。
2019年、19歳でジュニアからU23を飛び級してプロデビューした「神童」。
2022年、ブエルタ・ア・エスパーニャを制し、ベルギー人選手としては44年ぶりのグランツール総合優勝という快挙を成し遂げた。


ブエルタ最終日、表彰式でのエヴェネプール。© 2022 Getty Images

誰もが羨むような華やかなキャリア。だが決して順風満帆だったわけではない。アスリートとしては小柄な体に宿した巨大な才能は、年若い彼に大きな試練を課してきた。

始まりはサッカー

エヴェネプールのキャリアはサッカーから始まった。美容師の母と元プロ自転車選手だった左官職人の父の元に生まれ、ベルギー・ブリュッセル郊外の街で育った男の子は5歳でサッカーを始めた。ベルギーはFIFAランキング上位に君臨するサッカー大国(2022年8月現在は2位)であり、サッカーを選んだのは自然なことだった。RSCアンデルレヒト(ベルギー)、PSVアイントホーフェン(オランダ)と名門チームに所属。最初のポジションはゴールキーパーだったが、そのスタミナから運動量が求められる中盤にコンバートされ、左サイドバックもこなす守備的ミッドフィルダーとしてプレーするようになった。

「レムコがマン・オブ・ザ・マッチ(試合中最も活躍した選手)に選ばれた記憶はあまりない」とはサッカー選手時代のチームメイトの言葉である。つまり、誰よりもボールプレーが誰よりも優れていた選手ではなかったようだ。しかしエヴェネプールはベルギー代表のユースチームに選出され、キャプテンまで務めた。責任感が強く、チームメイトや監督、コーチとよくコミュニケーションを取り、結果のために努力を惜しまない。そんな前向きな存在感が彼をリーダーたらしめたという。チームメイト曰く「レムコがいることで、チームはより自信を持つことができた」そうだ。


王立ベルギーサッカー協会がヴェネプールのブエルタ総合優勝を祝って投稿したベルギー代表ユースチーム時代の写真。

しかし責任感の強さが裏目に出ることもあった。エヴェネプールはピッチ上のあらゆる場所にいたがる傾向があり、チームメイトに任せることを学ばなければならなかった。また、酷い怪我をしても決してピッチを去ろうとはしなかった。15歳の時に骨盤を、17歳の時に鼻を骨折した時さえもそうだった。若さゆえの独善もあったのだろうか、エヴェネプール少年は引きどころを知らず、自分からサッカーを取り上げようとする大人たちへの怒りに燃えることもあったという。

結果として、これらの怪我がエヴェネプールの人生を変えることになる。持ち味であるスピードを失ったことで、チームから戦力外通告を突きつけられたのである。エヴェネプールはサッカーに失望し、その野心を自転車に注ぐようになった。

自転車の世界へ

元プロ自転車選手だった父の影響もあり、エヴェネプールはサッカー選手の頃から自転車に乗っていた。プレシーズンのトレーニングにロードバイクに乗って現れたこともあったらしい。所属サッカーチームも舌を巻いたVO2MAX(最大酸素摂取量)の高さは自転車レースでも活きた。初めこそ集団走行に恐怖を覚えたそうだが、慣れるまでに時間はかからなかった。本格的に自転車選手としてのキャリアをスタートしたのは2017年4月。その4ヶ月後にはジュニアカテゴリのステージレースで初勝利を飾っている。

キャリア2年目となる2018年はまさに破竹の勢いだった。出場レースのほぼ全てを勝ち、ベルギー選手権、ヨーロッパ選手権、そして世界選手権の全てで個人タイムトライアルとロードレースを制覇。ジュニアカテゴリを完全に支配したエヴェネプールは地元ベルギーの名門である現クイックステップ・アルファヴィニルからのオファーを受けるに至り、翌年プロデビューを果たす。鳴り物入りでエリートカテゴリに飛び込んだ「神童」は臆することなく自らの力を披露し、2019年6月のベルギー・ツアー第2ステージでプロ勝利、総合優勝さえ掴んでみせた。8月にはクラシカ・サンセバスティアンを勝ち、自分にはトッププロが揃う最上位カテゴリであるワールドツアーレースで通用する実力があるのだと高らかに宣言した。


2018年世界選手権男子ジュニアロードレースで勝利した際はTarmac SL5を掲げながらフィニッシュ。© Brakethorough Media

強烈なアタックを仕掛け、そこから独走に持ち込むのがエヴェネプールの得意技で、サッカーで培ったフィジカルはサドルの上での長時間高出力をキープするのに大いに役立った。好きな時に集団を飛び立っていくエヴェネプールに、ライバルたちはさぞ手を焼いたことだろう。

挫折との戦い

次に勝つのはどのレースか―勝利と栄光に彩られていくだろうと思われていたエヴェネプールのキャリアは、しかし2020年に停滞を迎える。

未曾有のパンデミックによるレース凍結期間はインドアサイクリングや自ら立ち上げたチャレンジ企画で乗り切った。8月のレース再開後も順調に勝ち続けた。悲劇が起こったのはこの年の大きな目標であるモニュメント(世界5大クラシック)の1つであるイル・ロンバルディアだった。ダウンヒル区間でオーバーラン、崖下へ落車。骨盤骨折と肺挫傷により長期離脱が確定した。
悪夢だった。サッカー選手としての夢を断った怪我が、自転車選手エヴェネプールの前に再び立ちはだかったのである。


レース中縁石に衝突し落車、崖下に投げ出された直後のエヴェネプール。

手術、そしてリハビリ。本格的なトレーニング再開には春を待たなければならなかった。エヴェネプールは21歳になっていた。
復帰レースに決まったのは5月のジロ・デ・イタリア。怪我がなければ2020年に挑戦するはずだった初のグランツールだ。21日間を走る世界最高峰のステージレースであり、最も過酷なレースでもある。誰もがこのニュースに驚いた。若い選手が復帰戦として初のグランツールを走るなど、正気の沙汰ではない。エヴェネプールがいかに規格外の選手だとしても、だ。

ジロ・デ・イタリアに現れたエヴェネプールは、まるで負傷離脱などなかったかのように走った。
1週目は完璧だった。首位の選手に勝負を挑みさえした。しかし2週目に入ってからグランツールの魔物が牙をむいた。未舗装路、難関山岳、そして未知の長いレース日数。経験したことがない難局が容赦なくエヴェネプールを翻弄した。大怪我でレースから遠ざかっていた身体には本来の力は戻っておらず、毎日続くステージを走るのが精一杯。昨年までの華麗な走りとは程遠い遅れる姿を晒し、フィニッシュ後にはメディアからの意地悪な質問に答えなければならない。だが満身創痍の身体を抱え、プライドを踏みにじられても、エヴェネプールは撤退しようとはしなかった。サッカーの試合でそうしたのと同じように、レースにしがみついた。
しかし17日目に巻き込まれた落車で負った怪我により遂にチームはリタイアを決断。復帰戦は苦い結末を迎えた。

2週目以降の失速ぶりから世間はエヴェネプールの資質に疑問を抱くようになる。
すなわち、「レムコ・エヴェネプールはグランツールレーサーの器に足る選手なのだろうか?」


復帰戦にして初のグランツール挑戦となったジロ・デ・イタリアは途中棄権に終わった。© 2021 Getty Images

高い独走力で1週間程度のステージレースやワンデーレースを勝ってきたものの、長い登りへの対応力やスプリント力に乏しく、3週間を走り切るスタミナもない。他の若い選手たちの台頭もあり、「神童」だったはずのエヴェネプールの輝きは急速に失われていくように見えた。

波乱の2021年を終え、チームとエヴェネプールは1つの決断を下す。2022年はグランツールレーサーになるための修練を積み、万全の状態で再度挑戦する。目標は8月開幕のブエルタ・ア・エスパーニャ。個人タイムトライアルの能力に磨きをかけつつ、課題である登坂力に本格的に向き合うことを決めた。登りが組み込まれたステージレースに積極的に出場、遅れながらも経験を積み続けた。エヴェネプールの地道な努力は徐々に実を結び、クライマーズクラシックの最高峰リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ、クラシカ・サンセバスティアンでは登りでライバルを全員置き去りにしての独走勝利を成し遂げた。

ブエルタ前にはスペインでトレーニングキャンプを敢行。暑さや長い登りへの適応を目指し、エヴェネプール曰く「コーチを呪ってやろうかと思った」程の厳しいメニューをこなした。

そして迎えたブエルタ本番。初日チームタイムトライアルから積極的な走りを見せたエヴェネプールは、大会最初の山岳決戦となる第6ステージでトレーニングの成果を余さず披露した。最後の1級ピコ・ハノでグランツール表彰台経験者を含む総合系ライダーたちを圧倒し、総合首位の選手に与えられるリーダージャージ「マイヨ・ロホ(赤いジャージの意)」を獲得したのだ。続く山岳ステージでもエヴェネプールは揺るがず、第1週の最終日である第9ステージでは平均勾配12.5%、最大勾配17%という激坂峠の1級レス・プラエレスでライバルをまとめて振り落とした。


第9ステージ、シッティングのまま加速して激坂を駆け上がるエヴェネプール。© 2022 Getty Images

休息日明け第10ステージの個人タイムトライアルは圧巻だった。30.9kmのコースで2位の選手に1分近い大差をつけ、リーダージャージを着用しながらキャリア初のグランツール区間勝利を射止めた。
なおこの日エヴェネプールが着用していたヘルメットS-Works TT 5は彼自身がWin Tunnelでの風洞実験に繰り返し参加し、開発において重要な役割を果たした新兵器である。テスト時に40kmのコースで26秒のタイム短縮を実現した史上最速のヘルメットは、エヴェネプールの記念すべき勝利にも大きく貢献した。


タイムトライアル専用機Shiv TTとS-Works TT 5がエヴェネプールの速さをもう一段押し上げる。© 2022 Getty Images

第11ステージではここまで山岳での最終発射台を担ってくれていた世界王者ジュリアン・アラフィリップ(フランス)が落車による右肩脱臼で離脱。第12ステージではエヴェネプール自身が落車し、擦過傷を負ってしまう。その影響もあってか、第14ステージでは初めて登りでライバルに遅れを喫した。大会最難関ステージである第15ステージも守る戦いだった。しかしライバルに先行されても焦ることなく淡々とペースを刻み、決定的な脱落を回避。3週間続くグランツールにおいて必ず到来する苦しい局面を耐え抜き、エヴェネプールが総合首位をキープしたまま大会は最終週に突入する。


ライバルたちの攻撃をしのぎ切って第2週を終えた。© 2022 Getty Images

休息日で上手く回復ができたのだろう、第3週のエヴェネプールの脚には再び力が戻っていた。大会最後の山頂フィニッシュである第18ステージでは転がり込んできたステージ勝利のチャンスを渾身のスプリントでもぎ取った。そして最後の難関ステージ第20ステージも崩れることなく乗り切り、最終日のスプリントステージを前に総合優勝を確定させた。

小さくガッツポーズをしながらフィニッシュラインを切ったヴェネプールは、自転車を降りた後に顔を覆って涙を流した。サッカー大国であるベルギーは自転車大国でもある。強い関心は、熱狂的な応援にも、痛烈な批判にも通じる。昨年のジロ以降にメディアやファンから寄せられた数多のネガティブな声はエヴェネプールの心に棘のように突き刺さり、ずっと彼を苛み続けていた。

「レムコ・エヴェネプールはグランツールレーサーの器に足る選手なのだろうか?」―この問いに対するこれ以上明快な答えがあるだろうか。レムコ・エヴェネプールは、グランツールを勝ったのだ。疑念を跳ね返す、たったひとつの素敵なやり方だった。


大怪我、挫折、心無い批判。全てを乗り越えた瞬間、© 2022 Getty Images
 

エヴェネプールの勝利はクイックステップ・アルファヴィニルの勝利でもあった。チーム設立史上初のグランツール制覇である。常勝軍団がたったひとつ獲り残していたタイトルだ。
アラフィリップが、そしてかつてチームに所属していた(そしてこのブエルタではライバルチームの一員としてエヴェネプールと戦った)ジョアン・アルメイダ(ポルトガル)がそれぞれツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアで総合首位に立ちレースをリードしたことはある。だが16日間のリーダージャージ着用はチーム史上最長記録であり、最終日まで守り抜いた選手もまた初めてだ。

2019年にやって来た「ウルフパック」の末っ子は群れを率いるリーダーに成長し、チームは彼をよく支えた。特にエヴェネプールの山岳アシストとしてチームに合流したイラン・ファンウィルデルとルイス・フェルヴァーケのベルジャンコンビは後半戦の重要アシストとして活躍した。重要局目、すなわちエヴェネプールが総合順位でリードを広げることができる場面に力を集中投下し、そうでない時は全員が体力温存に努めた。先行する逃げグループにチームメイトを送り込み、勝負所となる山岳でエヴェネプールのいるメイン集団に戻してアシストさせる「前待ち作戦」を機能させるなど、チーム力の高さも見せつけた。


「ウルフパック」は序盤からリーダージャージを着用し続けたエヴェネプールを守り切った。© 2022 Getty Images


最終日の表彰台では全員で喜びを爆発させた。 © 2022 Getty Images

彼らがまるでグランツール総合を戦い慣れたチームのように振舞ったことは、少しの驚きをもって世界に受け止められた。だが、忘れてはいけない、「ウルフパック」は勝つことが得意なのだ。ブエルタを選んだのは今年のグランツールの中で最もタイムトライアルの距離が長く山岳の難易度が比較的マイルドでエヴェネプール向きだったからだし、勝つための準備は昨年の冬のトレーニングキャンプから始まっていたのだ。総合優勝を争うはずだった強豪選手たちの病気や落車による予想外の離脱はあったものの、ブエルタを中心に据えたレーススケジュールを組みコンディションピークをあわせてきたエヴェネプールが最強だったことに異を唱える人はいないだろう。

エヴェネプールがどこからやって来て何を成し遂げたかは、これまでに書いた通りだ。これからについては、彼のブエルタ制覇を祝う深紅のTarmac SL7のトップチューブに書かれている。


Remco 'Rojo' Tarmac SL7 LTD Frame © 2022 Getty Images

レムコ・エヴェネプール、22歳。これは始まりにすぎない。

ベネットの復活

エヴェネプールと同じく、素敵なやり方でネガティブな声を跳ね返した選手がもう1人いる。サム・ベネット(アイルランド)だ。

今年古巣であるボーラ・ハンスグローエに復帰したものの、勝利は5月のエシュボルン・フランクフルトのみ。切望していたツール・ド・フランスは成績不振から選外となり、何とか出場にこぎつけたブエルタは背水の陣。繊細な性格のベネットを何としても勝たせなければならないとチームメイトも奮起した。大会最初のスプリントステージである2日目、激しい位置取り合戦を制し、リードアウトマンを担うダニー・ファンポッペル(オランダ)が最終ストレートの先頭でベネットを発射。仲間を信じて最後の最後まで脚を温存していたベネットの加速に並ぶことができるライバルはおらず、先頭でフィニッシュラインに飛び込んだ。


チームメイトの会心のアシストを力に勝利を掴んだベネット。

続く第3ステージでも勝利し、自身初のグランツール連勝を挙げたベネットの表情は明るかった。2021年シーズンのほとんどを膝の怪我で棒に振っていたが、ようやく自分自身に戻ることができたのだ。自らの脚で自分が何者であるかを証明する。これ以上わかりやすく、冴えたやり方はない。

残念ながらベネットは第10ステージ開始前に新型コロナウイルス感染症でブエルタを去ることになってしまった。しかし長く続いた低迷はブエルタでの勝利で振り払った。遠くない将来に再び勝つことができるだろう。

第6ステージフィニッシュ地点の山頂に辿り着くも既に表彰台は撤収中。それでもポイント賞として表彰式を1人で敢行するお茶目なベネット。

2022年シーズンを彩った3つのグランツール。そのうちの2つでスペシャライズドライダーが総合優勝を果たした。
そしてTarmac SL7は全てのグランツールでステージ勝利を挙げたバイクとなった。選手の潜在能力を引き出し、速さに変える唯一無二のバイクとしてロードレース界の歴史に記憶されることだろう。

【筆者紹介】
文章:池田 綾(アヤフィリップ)
ロードレース観戦と自転車旅を愛するサイクリングライター。

池田 綾さんの記事はこちらから>

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カテゴリ:
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キーワード:
池田綾

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